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作品のコンセプトとアーティストからのメッセージ
赤田晃一

「麦わら帽子にゲタばき、首手ぬぐいに甚平姿
のSax吹きがまたしても犬島の港に現れる。
島に上陸した人々を出来損ないのハーメルンの
笛吹き男が導いていく。海に、また道端に、
具象とも抽象ともつかぬ響きが転がっていく。
しかし、あの物語と違って、人々は無事に島から
戻れる点が、彼の出来損ないたる所以である。
そして、彼は案内役の役目すらかなぐり捨てて、
島のあちこちに音の落書きを残していくかもしれない。
しかし、その痕跡が残らない点が、音という存在の狡さなのである。」





白神典大

犬島といえば、僕の中では、銅の精錬所です。
犬島では1909(明治42)年から大正8年(1919年)まで銅の精錬が行われ
今では崩れた煙突が空を仰いでいるのです。
 昨年から銅という素材を取り入れて新たな作品創りに挑戦
していますが、金や銀とはまったく違った表情を見せるのです。
 僕が扱うガラスという素材と犬島で精錬されていた銅が
一つの作品として根が生えればと思います。





ズンチャチャ(須原由光)

「夏祭り~なつさい~ in 犬島時間」
私ごとで恐縮ですが、この一年半の間に体調を壊して、
療養しなければならない期間がありました。
自分がどこでどう生きていて、どう生かされていて、
これからどう生きていくのか・・・。いろんなことを考えた期間でした。
今回、「犬島時間」のお話を主宰者の青地さんからいただいた時に、
久しぶりのパフォーマンスを自然の中で…ということにとても心惹かれました。
今年の3月に犬島を訪れ、ゆったり流れる時間の中で、
犬島の白い海岸が目の前に広がった時、あまりの美しさに一目惚れしてしまい
心が踊ったのは今でも鮮明です。
自分が生かされているこの地球で、地球を感じながら大切な仲間と踊れる喜びと、
犬島の夏を存分に感じていただけるようなダンス。
そんな思いで創った作品です。
この作品を犬島海水浴場で踊ることを許可してくださった町内会長さん、
ご協力いただく島の皆様やスタッフの皆様、
「犬島時間」を大切に育てて来られた主宰者の青地さん、
そして足を運んでくださる全ての方々に心から感謝して、
一年半振りのズンチャチャのパフォーマンスを私たち自身も楽しみながら踊りたいと思います。





橘宣行

今回出品する二点の作品のうち一点は二年前に出品した
作品を明るいピンク系の色に再塗装した。前回はもっと重量感を感
じさせるような黒っぽい色だったのです。歴史を感じさせるのでは
なく現在生きているような内臓のような輝きをあたえることにした
のです。 新作の犬がバイクと合体しているような作品も同様で
この島で何か疾走しているようなことが現在進行形で行われている
状態に重なればと考えながら制作しました。





灰原 愛

初めて犬島へ来た時、ここは「境目」だな、と思ったのです。
 時間が歩みを止めたような静けさ、廃墟が自然にのまれてゆく悲哀。
今は遠くなった在りし日へのノスタルジー。
あるいは、これから来るだろう変化の兆し。
「時の境目」を見た気がします。
  「物理的な境目」も印象深く残っています。
家や敷地の入り口など至る所にあった、対の石柱。
あちらとこちらを隔てる門なのでしょうか。
縄を渡してあるものもあり、それは鳥居のようにも見えます。
民家の跡に残っている、朽ちかけた鉄製の門。
くぐれば別世界へ行そうな雰囲気に心惹かれました。
  「あの夏の残像」は時の境目を。
「境界 ~つなひき~」は物理的な境目を、それぞれ表現してみました。
その境目を猫の目線で見てみたい、と思ってつくったのが「きみのみる世界」です。





藤原勇輝
「タイトル」:人
 かつて3000人が住み、今では50人ほどまでに激減し
限界集落と化した「犬島」での展覧会で何をやるか。
島民の方とコミュニケーションを取る中で、「人」というキーワードで犬島と関わりたいと思った。
 固有名詞をイニシャル化した個人の家系図を、
だれがみても自分に置き換える事ができる「人」の家系図に見立てる。
その従来の家系図を立体化させた作品は、
「犬島」に展示するからこそ自ずとその場所性が作品に取り込まれ、
「犬島」の現在の状況を表出する装置になり、
過去、そして未来の「犬島」の姿を想像することを目的とし制作した。





細見博子+岡本清文
作品「minasoko」 
水は生活の根源である。
 降雨量の少ない瀬戸内の島々に暮らす人たちにとって、水は生命線ともいえよう。
犬島でも古くから最も安定的な給水システムとして井戸が掘られてきた。 
現地で採取される良質な花崗岩を組んだ井筒は、今も島内に多く散見される。
家屋はとうに朽ち果てた後に、かつての住人を偲ばせるかのように
井筒だけが残っている光景にも出会う。
あるいは、井筒さえ姿を消した跡に、ひっそりと一本の竹筒が覗いていることもある。
この小さな筒は、地中深くに住む井戸の神様が
大気と繋がって呼吸をするための装置である。 
島民の暮らしを確実に支えてくれた井戸への誠実な感謝の心が、
冷たい水底に様々な神様を誕生させ、住まわせたのであろう。
作品「minasoko」は、井戸底に住まう水神の姿を造形にして、
過去から連綿と続くライフラインの存在を再認識する仕掛けである。 
また犬島に暮らす人々の幸福な未来の生活を願う祭壇でもある。
七福神にあやかり、7つの作品を島内に点在させ、
それらを巡りながらいろいろな水神と出会ってほしい。




【2009/07/31 00:42 】 | コンセプト | コメント(0) |
<<犬島時間スタートです! | ホーム | 7月30日の山陽新聞に掲載されました。>>
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